ラカン精神科学研究所

ラカン精神科学研究所では、心の病、悩み相談・治療をしています。薬物や催眠・暗示を使わず主に精神分析という対話療法で治療します。その他ご相談もお受けします。 相談・治療内容は、登校拒否、引きこもり、ニート、非行、神経症(強迫神経症・不安神経症など)、恐怖症(対人恐怖症・広場恐怖症など)、パニック障害、摂食障害(過食症・拒食症)、子育て、家族問題(親子関係・夫婦関係)などで、とにかく話を聴いて欲しいと言われる方もおられます。 また「子育て相談室」や「分析理論講座」、「インテグレーター養成講座」を開催しています

分析家の独り言725(今年の指針:心の平安を目指す)

 

あけましておめでとうございます。

 

http://archives.mag2.com/0001106260/20160101000000000.html 

2016年1月発行No.70メルマガでも書きましたが、

 

昨年はコンプレックスに反応し、喉に膿ができ、声が出なくなり、咳が出る

 

という身体症状を呈しました。

 

講座や分析でクライアントさん達に迷惑をかけ、申し訳ありませんでした。

 

 

今年の指針を『心の平安』と決め、

 

2016年元旦、平安神宮へ初詣でに行きました。

 

私は宗教というもの全般に良いイメージが無かったのですが、

 

宗教心も、過去の経験に捕らわれず自分なりのものをつくることだと

 

考えました。

 

 

元旦の朝、平安神宮に行き、神前でこうべを垂れました。

 

そして、「今年は、ラカン理論をしっかり学び、謙虚になり、遊び心と余裕を持ち、

 

心の平安を目指します」という言葉を心の中で言いました。

 

 

特にセリフを考えて決めていたのではありませんが、

 

自分でしゃべった内的言語を聞きながら、気が付きました。

 

私がこれまで見聞きし、経験したのはお願い信仰だった。

 

「仕合せになりますように」、「学校の成績が上がりますよう」、

 

「病気にならず健康で過ごせますように」、「商売が繁盛しますように」、等々。

 

何の努力もせず、ただ「こうなりますように」と

 

お願いすることに意味があるのだろうか。

 

「自分はこれこれこのように努力しこうなります。どうか見守っていてください」

 

というのなら、決意表明となって意味がある。

 

私がこの時、初詣でとは今年一年の自分の目標を「私はこの一年こうします」と

 

神に誓う事だと感じました。

 

私はこれで善い、これで行こうと。

 

 

そして家に戻り、

 

今年一年、インテグレーターとして、精神分析を仕事として励むと心に決め、

 

インテグレーターの自己認定書に日付と名前を書きました。

 

『登張豊実』とは、

 

心身の豊かさ(豊)を張り押し広げ(張)、向上心を持って(登)、実らせる(実)。

 

このインテグレーター名の意味を、再び心に刻みました。

 

 

        インテグレーター(精神分析家) 登張豊実

 

 

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